jica: October 2004 Archives

家族愛

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自宅の隣に住んでるおばちゃんがとても親切だ。

自宅の隣にすむサリーというそのおばちゃんは、配属先の大学の同僚である。教育学部の先生で、一家の大黒柱だ。夫と娘・息子の4人家族で、とても仲良く暮らしている。

最近、このおばちゃんが、よく飯を食わせてくれる。自分が水虫の悪夢に悩まされ、歩くのもままならない状態を察して、「ちゃんと食べてないんでしょう!野菜もちゃんと食べなきゃだめよ!」とおばちゃんの家に強制連行される。そして、具沢山の野菜炒めや煮物を沢山食べさせてくれるのだ。

今朝も、日曜日(しかもハロウィン!)だというのに、朝の6時半くらいに「ニコ!ニコ!、朝食よ!」と大声で叫びながら、ドアを連打。ここまで気持ちよく”叩き”起こされたことはない(注。ニコは私のあだ名)。せっかく朝食を作ってくれたのに、不機嫌な顔で出て行くわけにもいかず、笑顔で朝食を頂戴しに行く。

自分はサリーの家にホームステイしているわけでもないし、サリーは私のお手伝いさんでもない。それなのに、ただ隣に住んでいるというだけで、これだけお節介をやいてくれる。サリーからしてみれば、フィリピンで身寄りのない日本人が、たった一人で生活していることを、すごく心配してくれているのだ。サリーさん曰く、「お隣同士、家の垣根はあるけど家族の垣根はないのよ」だそうだ。自分の息子と同じ年くらいの私のことを、家族と同様に扱ってくれていることに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいになる。

サリーの家の中を見てみても、決して裕福とはいえない。恐らく生活もギリギリなのだろう。それなのに、私に気前よく飯を食わせてくれる。フィリピン人の家族愛は本物だと、つくづく思う。肩書きだけの「家族」ではなく、本当にいつも一緒にいないと落ち着かない・心配だ、という感じなのだ。自分もちょっとだけ、サリー家に入れてもらったみたいで、ホッとした気分になる。フィリピンでの実家が出来たような気分だ。

(写真は卵の塩漬けです。朝食の付け合せや、酒のつまみによく出てくる)

ITリテラシー

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最近、学内LANのインターネット接続に向けて、Proxyの構築をしている。

といっても公開用Webサーバがあるわけではないので、Reverse Proxyとしての機能は持たせない。単純なCache用である。それでも端末が100台以上ある為、クライアントの設定を一台一台変えるのはめんどうだ。ということで、透過型Proxyにする予定。

Proxyの設定や運用も、そこまで難しいものではないので、カウンターパートもなんとか理解してくれそうなのだが、問題は技術面ではなく倫理的なところにある。

そもそも、Cache Proxyを導入する目的は、当たり前のことだがHTTPアクセスの高速化である。細い回線を用いて何台ものPCが接続するので、少しでもアクセスが早くなるようにという願いが込められているのだ。しかし、学生や先生の多くが、インターネットで何をするかと言えば、

1位 チャット
2位 FriendSter
3位 ネットゲーム
という、なんとも情けない状況なのである。ここは大学なのに、だ。

そこでSEが真っ先に考えるのが、「フィルタリング」だろう。物理的に、これらのアクセスを禁止すればいいのだ。また、「禁止」までいかなくても、「監視」することで注意を促すという方法も考えられる。自分も早速カウンターパートに相談してみることにした。しかし、彼も御多分に漏れず「チャット」と「FriendSter」と「ネットゲーム」のヘビーユーザだ。すぐにYesと言うわけが無い。しかし、何度も言うように、ここは大学なのだ。私用で使うならネットカフェに行けと思ってしまう。

だが、彼等がこういったネットの使い方に熱中するのも分からなくはない。自分もインターネットを使い始めた当初は、様々な機能と可能性を持ったサービスに目を輝かせていたような気がする。フィリピンでは、自宅にパソコンを持っている人はまだまだ少ない。持っていたとしても、インターネットには繋がらない。ネットをするにはネットカフェに行くのが普通だ。といっても、1時間で30ペソ。こちらでの一般的な食事一食分の値段だ。そーそー行けるものでもない。となったら、タダでネットが使いたい放題の環境が与えられたら、水を得た魚のように、好きなサービスに接続しにいくのは、当然といえば当然かもしれない。

この問題は、世界中のコンピュータ隊員が共通で抱えている。技術教育はたやすいが、倫理教育は、その国の国民性、文化、慣習などあらゆる要素が絡んでくるだけに、一筋縄ではいかない。「これがフィリピンだ」と鵜呑みにするのは簡単だ。異文化を受け入れる姿勢を重要視するなら、これが正解なのだろう。しかし、自分がここに来た意味は何なのかを考えると、この問題を無視することは出来ない。なんらかの対策を考えなければ。